気力がわかない原因は、抱えすぎだった——持ち物と無意識の関係

暮らしを整える

やることリストが、翌日に繰り越し続けている

最近、困ったことがある。

その日やるべきことをリストにしても、なぜか手がつかない。
難しい内容でもないのに、最初の一歩が踏み出せないまま、翌日に繰り越し、
また翌日へ……、という状態がしばらく続いている。

なぜだろう、と自分なりに考えてみた。

体調が悪いわけでも、やる気がないわけでも、たぶんない。
でも、なんとなく重い。動けない。

そこでふと気づいたのが、
「自分が今、あまりにも多くのモノを抱えすぎているのでは」ということだった。


持ち物は、見えないところでエネルギーを使っている

物が増えると、空間が圧迫される。それはわかりやすい話だ。

でも、それ以上に気になるのは、
使っていないのに持ち続けている物が、無意識の中で重さになっているということ。

表向きは忘れているつもりでも、「あれ、どうにかしなきゃ」という気持ちが心の奥に残っているものだ。その小さな引っかかりが、じわじわとストレスになっている。

本や道具、手をつけていない資料。
「いつか使うかも」と思って置いてあるものたちは、
持ち主の目に触れていない間も、場所を占め、気を発して存在を主張し続けている。

日本には「付喪神」という考え方がある。
長く存在した物には魂が宿る、というあの概念。
これはきっと、モノと持ち主のあいだにある目に見えないつながりによって
持ち主のエネルギーがモノに集積し続けて現れるのではないかと思う。

使われ、エネルギーが循環しているモノは活きて主によい影響を与えるけれど、
放置され続けたモノは主のエネルギーを消耗させ続けて運気を下げる。

そしてその影響は、同じ空間に暮らす家族にも及ぶ。


もったいない、の罠

「もったいなくて捨てられない」という感覚はよくわかる。
大切にしたいという気持ちの裏返しだから。

でも、実は使われていないものこそ、一番「もったいない」状態ではないだろうか。

物には、使われてこそ意味が生まれる。
放置されたままでは、物にとっても、持ち主にとっても、何も生まれない。


抱えすぎると、動けなくなる

新しいことに挑戦したい気持ちはある。でも、手を広げすぎると押しつぶされる。

持ち物も、やるべきことも、人間が抱えられるキャパシティには限りがある。

無意識に消費されるエネルギーというのは、侮れない。
ストレスや停滞したエネルギーが積み重なると、
ちょうど体内のフリーラジカルのように、消耗を加速していく。

気力がわかないのは、決して怠惰ではなく、
エネルギーが知らないところで使われ続けているせいかもしれない。

私が感じている「最初の一歩が踏み出せない」という感覚も、たぶんそういうこと。
無意識が「これだけのものを全部処理するのは無理だ」とわかっていて、
そもそもエンジンがかからなくなっているわけだ。


まず、捨てることから始めてみる

じゃあ、今の自分にできることはなんだろう。

便利な道具やアプリで解決しようとするのは逆効果なことが多い。
使いこなすための労力が上乗せされ、結局自分の首をしめるだけ——この失敗はさんざんしてきた。

答えはもっとシンプルなところにある。

身の回りのものを手放すことから始める。それだけだ。

思い返せば、一時期断捨離にはまって毎日モノを捨て続けていたことがある。
身の回りがすっきりするにつれ、気持ちがどんどん軽くなって、動き回る気力も自然と上がっていった。
あの感覚を、すっかり忘れていた。

タスクに手をつける前に、まず物を減らす。
それが停滞したエネルギーを動かす、一番の近道だと改めて気づいた。

さあ、また捨てることを始めようと思う。

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